(この記事は2024年11月29日に更新しました。)
皆さんは、『鉄仮面の男』をご存じでしょうか?
この男は17世紀に実在した人物で顔を誰にも見られたことがないため、正体不明の謎の人物です。
彼は、人と会うとき常に仮面をしなくてはいけませんでした。
そして、何十年も監獄に捕らえられていました。
なぜ素顔を見せてはいけなかったのか?
どうして何十年も捕らえられていたのか?
そこにはある説があります。
この記事では、闇多き人物『鉄仮面の男』について深堀りしていきます。
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鉄仮面の男とは?
鉄仮面の男とは、17世紀中頃~1703年にフランスのバスティーユ牢獄に収監されていた人物です。
彼は、1669年にルイ14世の大臣からピネローロ監獄の監獄長サン・マールに預けられて、監獄長自らが世話をしていたといいます。
監獄長自らが世話をしていたというのは、VIPかそれなりの身分の人だということだよね・・・
監獄長サン・マールが転任すると彼と共に、サント・マルグリット島に行き、そのあと1698年にバスティーユ牢獄に移送されました。
「その囚人は常にマスクで顔を覆われていて、副監獄長が丁重に世話をしていた」と、当時のバスティーユ牢獄の看守は記録を残しています。
バスティーユ牢獄
バスティーユ牢獄とは17世紀~19世紀にフランスのパリにあった牢獄です。
1789年のフランス革命のあと解体されており、現在はバスティーユ広場となっています。
鉄仮面の男は、名前からか、世間的には「鉄製の仮面を常に着用している男」のイメージが強いですが、実際は「布製のマスクを人がいる前では着用する男」であったと言われています。
イラストだと鉄製に見えますよね。
ここからが恐い話なのですが、彼には「もし、人前でマスクを外したり顔を見られたら、その場で殺害せよ。」との指示が出ていました。
このため、牢獄で世話をしていた看守たちでさえ彼の素顔は知らなかったと言われています。
絶対に顔を見られたらマズイ人物だったということだよね・・・闇を感じる・・・
鉄仮面の男は1703年の11月19日に死亡します。彼は「マルショワリー」という偽名で葬られました。
そして彼の所有物は全て破棄されてしまいました。
鉄仮面の男の正体は一体何者だったのか?
鉄仮面の男の正体についてはいくつかの説があります。
フランスの軍人説
ルイ14世の陸相を務めたフランソワ・ド・ルヴィアはある書簡を残していました。
そこには、こう書かれていました。
これがどんな結果をもたらすかは、誰よりも国王陛下がよくご存知のことであるし、また陛下は、ここを占領できなかったことで我が国の大義が深く傷つけられたことも理解しておられる
この失敗は冬の間に取り返さなければならない
陸下が望んでおられるのは、ビュロンド大将をすみやかに逮捕し、ピニェロール要塞に護送することだ
要塞でのビュロンドの処遇については、夜間は鍵をかけて監視し、昼間は仮面をつけて胸壁を歩いてよいものとする
ビュロンド大将は、フランスとイタリアの国境の攻撃を指揮していましたが、オーストリアからの敵軍が来ることを恐れて、武器や怪我人をその場に放置し逃亡しました。
これが理由で戦線が危険になり、ルイ14世は激怒したといわれています。
マザラン枢機卿の会計係説
これは近年で一番有力な説です。
歴史家の中では鉄仮面の男の正体はユスターシュ・ドージェという人物であったと考えられています。
この男はベルベット製のマスクを着けていたと考えられています。
ユスターシュ・ドージェとは何者?
ユスターシュ・ドージェはルイ14世に宰相を務めたマザラン枢機卿の会計係でした。
マザラン枢機卿は当時の英国王室から莫大な金をだまし取っていたといわれています。
ドージェはうっかり真実を口外してしまいそうになり、捕まりました。
そして、その時にマザラン枢機卿から「身元を明かして真実を漏らせば、その場で処刑するぞ」と脅されていたといわれています。
その他の説
その他にも鉄仮面のお時には次の3つの説があります。
ただ、どれも決定的な証拠は無く、真相は闇の中です。
あとがき
いかがだったでしょうか?
「鉄仮面の男」についての都市伝説について深堀りしました。
いくつかの説がありますが、本当は彼が誰であったのかの結論はまで出ていません。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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