(この記事は2024年10月8日に更新しました。)
『サッカー』と聞くと、皆さんはどのようなイメージをもっていますか?
今や世界中に愛されているスポーツのサッカー。
今回はそんな「サッカーの起源の真実」について深掘りしていきます。
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サッカーの起源
サッカーは「ボールを蹴るスポーツ」ですが、その起源には有力な説が4つ存在します。
ぬこはイギリス発祥のスポーツだと思っていたにゃ
たしかにイギリス説が一番有名だけど、他にもいくつか説があるんだよ
イギリス説
サッカーはイギリスが起源だとする説が存在します。
8世紀のイングランドでは戦争に勝利すると相手の将軍の首を切り取る風習がありました。
そして、戦争に勝利した兵士たちがその首を蹴って遊んでいたといわれています。
それが蹴るものがボールに変わりサッカーとなったらしいです。
生首を蹴っていたなんて残酷だにゃ・・・
イタリア説
8世紀以前のイタリアでは宮廷の門でお金をかけてボールを蹴りあう「カルチョ」という遊びが流行っていました。
カルチョとはイタリア語で「calciare」と書き「蹴る」という意味です。
カルチョのルールは格闘技的な要素があり、男性たちが球を奪い合う球技でした。
そしてカルチョのルールが現代のサッカーに徐々に変化していったといわれています。
ぬこはカルパッチョが好きにゃ
キリストのお祭り説
サッカーの起源はキリストのお祭りという説が存在します。
イギリスのイングランドダービーシャー州中部の街、アッシュボーンでは毎年2日間かけて「シュローブタイド・フットボール」というお祭りが開催されています。
約7000人が出身地により2つのチームに分かれて、街全体をフィールドとしてお祭りは行われます。
「人を殺さない」「教会・墓地には入らない」以外のルールは特になく、足だけではなく、手を使ってボールを運びゴールを目指します。
乱闘や怪我は当たり前で非常に激しいお祭りのようです。
ラグビーをもっと過激になんでもありにした感じかにゃ
過去には女性がボールをお腹に隠して妊婦のふりをして運んだり、買い物袋にボールを入れて買い物客を装ってゴールに接近したりもしました。
このお祭りは遅くても1667年には始まっていたといわれています。
中国説
中国では紀元前300年以上前から軍事訓練として「蹴鞠(しゅうきく)」という遊びがされていました。
漢王朝の時代には1チーム12人で鞠を奪い合い、敵チームの「球門」に入れた数を競い合うといった現在のサッカーに近いルールとなっていました。
ちなみにこの蹴鞠は600年代に日本に「けまり」として伝わっており、宮廷内の公家の遊びとして親しまれていたといわれています。
たしかに「蹴球(しゅうきく)」は「けまり」と読めるにゃ
ちなみにFIFA(国際サッカー連盟)は中国説をサッカーの起源と認めてるよ
日本にいつどうやってサッカーが来たのか
1873年、イギリスのアーチボルド・ルシアス・ダグラス海軍少佐が築地の海軍学校の生徒に訓練としてサッカーを教えたのが、日本のサッカーの起源だといわれています。
その後、1917年に東京高等師範学校が第三回極東選手権大会のサッカー競技に出場しました。
これが日本の初めて出場したサッカーの国際大会だといわれています。
翌年の1918年には現在の全国高校サッカー選手権大会の前身である日本フットボール大会が大阪で行われ、この頃には数多くの国内大会が開かれるほど日本にサッカーは普及していました。
そして、1921年9月10日に現在の日本サッカー協会の前身である日本蹴球協会が設立され、現在の日本サッカーの基礎となる大会や組織が作られていきました。
日本にサッカーが来たのは意外と最近にゃ
サッカーの起源はわかっていない
いかがだったでしょうか。
今回は「サッカーの起源の真実」について深掘りしました。
今では子供から大人まで幅広い世代に愛されているサッカー。
そんなサッカーにも生首を蹴っていた残酷な説があったなんて驚きですよね。
しかし、未だにどの説が本当に正しいのかはわかっていません。
真相は闇の中です。
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