【都市伝説】日本航空123便墜落事故はただの事故ではない可能性

日本航空123便墜落事故の真実

(この記事は2024年11月19日に更新しました。)

『日本航空123便墜落事故』という事故を皆さんは聞いたことあるでしょうか?

これは日本史上最大の航空事故で、大勢の方が亡くなりました。

しかし、この事故には事故とは思えない不可解な点がいくつも存在します。

近年の研究では、これはただの航空事故ではない可能性があるという専門家もいます。

この記事では「日本航空123便墜落事故の真実と闇」について深堀りしていきます。

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目次

日本航空123便墜落事故とは?

日本航空123便

1985年8月12日の夕方に東京国際空港(羽田空港)を出発した日本航空123便は大阪国際空港(伊丹空港)に向かっていました。

伊豆半島を飛行中、何らかの理由により機体後部が破損、次いで垂直尾翼と補助電力装置も破損し操縦不能となりました。

そして、午後6時56分、群馬県の高天原山に墜落しました。

乗客と乗務員は合わせて524人搭乗していましたが520人が死亡し、生存者はたったの4人でした。

これは歴史的に見ても航空機単独の事故では世界最多の死亡者です。

ぬこさん

何らかの理由で破損・・・

事故の原因といわれていること

日本航空123便の原因

当時、事故の原因について何度も調査がされています。

事故の結果は次のように発表されています。

最初に航空機の後部圧力隔壁が損傷し、続いて尾部胴体、垂直尾翼、操縦系統が破壊

これらの破壊は最初に後部圧力隔壁が破壊されたことにより、飛行性能が著しく低下し操縦が困難になったためだと考えられる

最初に後部隔壁が損傷した原因は、疲労亀裂によって飛行中の圧力に耐えられなくなったためだと考えられる

疲労亀裂が起きた理由は、昭和53年に行われた修理が不適切であったためだと考えられる

また、点検整備の不備でこれを発見できなかったためである

ぬこさん

つまり、飛行機の修理がうまくできていなくて、さらに点検でそれを見つけられなかったことが原因ということにゃ?

もーもー

そのように発表されているけど、この事故には不可解な点があるんだよね・・・

ぬこさん

不可解な点?この事故は整備不良が原因の航空機事故ではないのにゃ?

もーもー

専門家や遺族から整備不良ではないとの意見も指摘されているんだよね

事故直後の音声記録からわかった真実

日本航空123便の音声データ

事故後に発見された、操縦室音声記録装置(CVR)には18時24分12秒~18時56分28秒の32分16秒の音声データが記録されていました。

その中で11分間だけの音声データが公開されています。

音声データから事故直後の航空機内の様子がわかってきました。

事故直後に機内でいったい何が起こっていたのか?

真実は音声データに残っていました。

緊急事態

日本航空123便の緊急事態

18時24分35秒、伊豆半島の上空を飛行中、突然衝撃音が鳴り客室高度警報音が3回鳴りました。

その直後、機長が「なんか爆発したぞ!!!」と発言しました。

オートパイロット(自動操縦)が解除されたため、即座にエンジンやギアなど機体の点検が行われました。

エンジンやギアに異常はありませんでしたが、先ほどの爆発音が気になった航空機関士が「ハイドロプレッシャー(油圧機器の圧力)を確認したい」と言いました。

18時25分、機長は緊急事態を東京航空交通管制部に発信しました。

そして、羽田空港に引き返すことにしました。

機長は副操縦士に「傾斜をそんなに取るな。マニュアル操作だから、傾きを戻せ」と指示しましたが、副操縦士は「傾きが戻りません!」と機長に伝えました。

その時、機内の油圧が異常に低下していることに航空機関士が気づきました。

ぬこさん

油圧が低下したらどうなるにゃ?

もーもー

機体を油圧で動かしている部分がたくさんあって、油圧が減ると機械の操作が困難になったり、最悪の場合、操縦不能になってしまうよ

この時点で、垂直尾翼は下半分以外が損壊しており、補助動力装置も全壊していました。

また、油圧操縦システム全てが損傷しており、機体を上下に動かす操作が不可能となっていました。

18時27分、「油圧が全て消失しました!」と航空機関士は機長に伝えました。

しかし、機長はその後も油圧での操縦をしようとしていました。

このことから、機長は機体に何が起こっているのか理解していなかったのでは?といわれています。

客室の気圧も低下しはじめていたので、低空に降下しようと試みましたが、このときはすでに操縦不能となっていました。

墜落

日本航空123便の墜落

その後も必死に機体の立て直しを試みますが、機体は降下し続けました。

右の翼と機体後部が山の樹木と接触し、第4エンジンが破壊されました。

次いで、水平尾翼、第1・2・3全てのエンジンが破壊され、機体の前部と後部が切り離されました。

切り離された機体前部は180度ひっくり返った状態で高天山に衝突しました。

この時の衝撃はすさまじく、機体や翼の原型がわからないほどに全壊しており、また機体は炎上していました。

しかし、切り離された機体後部は山に水平に近い状態で衝突し、また衝突時のスピードも前部ほどではありませんでした。

そのため、機体の損壊は前部ほど悲惨ではなく、また炎上もしていませんでした。

もーもー

このおかげで、機体後部にいた4名だけが奇跡的に助かったんだよね

海に不時着していれば助かった可能性

日本航空123便が助かった可能性

事故当時、機体は伊豆半島を飛行していました。

そのときにすぐに操縦不能であることに気づいて、羽田空港に戻ろうとせず、海に不時着できれば助かる命は多かったと言われています。

しかし、このときすでに油圧が消失しており、翼の操縦が不可能であった可能性が高いので海に不時着できたかはわかりません。

日本航空123便事故の不可解な点

日本航空123便墜落の謎

日本航空123便墜落事故には不可解な点がいくつかあります。

○自衛隊のミサイルによる墜落
○乗客・乗務員をすぐに救助してない
○墜落後に火炎放射器で焼かれた
○ボイスレコーダーの2/3は非公開

それでは順番に考察していきます。

自衛隊のミサイルによる墜落

事故当時、相模湾では自衛隊の護衛艦「まつゆき」がミサイル訓練中でした。

この訓練で使われていたのが「ファイヤービー」「チャカツー」と呼ばれるオレンジ色の小型ジェット機とロケットでした。

大きい方がファイヤービー。小さい方がチャカツー。

ファイヤービーとチャカツー
引用:http://suigousblog.cocolog-nifty.com/blog/cat20528720/index.html
ぬこさん

たしかにどっちもオレンジ色だにゃ

そして、事故時のボイスレコーダーに機長が「オレンジエア」と言っています。

これはつまり、オレンジ色の飛行物体が機体に向かって飛んできていると機長は言っているのではないかといわれています。

さらに、不可解な点はボイスレコーダーのこの発言をしている部分は最初非公開にされており、流出してわかった部分なのです。

これらのことから、事故の本当の原因は自衛艦のミサイルの衝突ではないかと言われています。

ミサイルが日本航空123便に誤って衝突したのか、意図的に当てたのかは、未だにわかっていません。

これが「自衛隊のミサイルによる墜落説」です。

乗客・乗務員をすぐに救助してない

日本航空123便の救助

墜落時、実はアメリカ空軍のヘリコプターが現場付近を飛行しており、事故機を発見していました。

そのことを司令部に知らせましたが、司令部はそのまま何もせず帰還せよとの命令を出しています。

事故発生直後から東京空港事務所長は航空自衛隊に人命救助のため、災害派遣要請を出していました。

しかし、航空自衛隊が動き出したのは事故発生から1時間40分後でした。

陸上自衛隊が動き出したのはさらに遅く、事故発生から2時間半後でした。

ぬこさん

どうしてすぐに救助に向かわなかったのにゃ?

もーもー

すぐに救助に向かわなかったのにはいくつかの説があるよ

自衛隊の部隊が財布を持っていなかった

事故が発生したとき、陸上自衛隊の部隊には出動命令が出されたため、すぐさま出動しました。

しかし、高速道路で通行料を求められました。

急いで出動した自衛隊部隊は誰も財布を持っていなかったのです。

そのため、救助に向かうのが遅れたといわれています。

ぬこさん

自衛隊が緊急時の出動の時にも通行料払わないといけないのかにゃ?

もーもー

この件の後で防衛庁は自衛隊の緊急時の出動の際は無料で通行できるように通達を出したよ

放射性物質を積んでいた

日本航空123便には医療用ラジオアイソトープ(放射性物質)が積んでいました。

また、機体の部品に劣化ウランが使われていました。

このため、機体が損壊し炎上していた現場は放射能汚染がされている可能性があるとして、すぐに救助に向かえなかったといわれています。

ぬこさん

放射能汚染の説の方がしっくりくるにゃ~

これらが、事故の救助に遅れた理由だといわれていますが、本当は他の理由があったともいわれています。

日本航空123便墜落後に焼かれた

燃える日本航空123便

事故後の遺体を確認した専門家や医師は次のように発言しています。

○遺体が二度焼かれたように見えた
○焼死体をさらに焼いたような状態

確かに事故で機体は炎上していますが、遺体の焼け方が通常の焼死体とは異なっていたというのです。

普通の焼死体は骨や歯の裏側などはそこまで焼けていなく残っている場合が多いのですが、日本航空123便の焼死体は骨の奥まで炭となっていたようです。

これは焼死体をさらに焼いたとしか説明ができないというのです。

さらに現場の作業をした消防団員は、次のように言っています。

機体は朝まで燃えていた

灯油ではなくガソリンとタールの臭いがした

日本航空123便は事故時、残りの燃料が飛行1時間半分しか残っていませんでした。

さらに航空機に使われるジェット燃料は燃焼持続性が低いと言われています。

本当に、墜落時の火災だけで朝までの10時間以上燃え続けていたのでしょうか?

さらに、火炎放射器はガソリンとタールの混合剤を燃料としています。

この混合剤の燃料はとても持続性が高く長時間燃焼させることができます。

遺体だけが焼け焦げていた

事故現場の遺体は悲惨なほど黒焦げになっていたのに対し、周りの木々はまるで燃えなかったかのように残っていました。

ジェット燃料が飛び散って、遺体を丸焼きにしたと考えると当然、周りの木々も燃えているはずだと考えるのが普通です。

ピンポイントで遺体だけ焼かれているのが、さらに闇を感じます。

日本航空123便のボイスレコーダーの2/3は非公開

事故当時のボイスレコーダーは事故発生から墜落までの30分近くが残っています。

しかし、公開されているのは11分だけです。

もしかしたら、残りの2/3の部分に知られてはいけない情報があるのかもしれません。

日本航空123便の都市伝説

日本航空123便の都市伝説

これらの点から、ある説が考えられます。

「日本航空123便墜落事故は自衛隊ミサイルによって撃ち落とされ、それを隠蔽するために乗客、乗務員を火炎放射器で全員口封じした」

「そのため、全員亡くなるまで救助をわざと遅らせた」

「しかし、数名だけが生き残ってしまった」

あまり考えたくはありませんが、このように考えることはできないでしょうか?

日本航空123便の闇は深い

いかがだったでしょうか?

「日本航空123便墜落事故はただの事故ではない可能性。隠された闇」についての都市伝説を深堀りしました。

これらはあくまで仮説であり、真相は闇の中です。

しかし、日本航空123便墜落事故は事故というには不可解な点が多く存在します。

「火のない所に煙は立たぬ」という言葉もあります。

信じるか信じないかはあなた次第です。

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