【都市伝説】実在した不死身の男。何度殺されても生き返った船坂弘

不死身の男、船坂弘

(この記事は2024年4月23日に更新しました。)

『船坂弘』という人物を皆さんは知っていますか?

彼は戦争で何度殺されても生き返って戻ってきたという伝説があります。

これだけ聞くと都市伝説っぽく聞こえますが、これは紛れもなく実話です。

彼は銃で撃たれようが、致命傷を負おうが本当に生きて戻ってくるのです。

この不死身さから船坂弘は漫画「ゴールデンカムイ」のキャラクターのモデルにもなっています。

今回は「何度殺されても生き返るリアルサイボーグ、船坂弘」について深掘りしていきます。

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目次

陸軍に入隊し戦地に赴く

陸軍に入隊した船坂弘

1920年、栃木県に生まれた船坂弘は1941年に陸軍に入隊します。

船坂は、満州に移動し国境警備隊として活躍していました。

船坂は除隊する間近に、日本の戦況悪化により南方作戦動員令が発令されました。

そして1944年、船坂はアンガウル島に上陸します。

左大腿部に致命傷を負うが復活

致命傷を負うが復活した船坂弘

アンガウル島では船坂は15人を率いる分隊長として活躍しました。

しかし、戦況はどんどん悪化していき船坂の中隊も壊滅に追い込まれていきました。

船坂は自分の中隊が壊滅する中、一人で敵軍に乗り込みました。

そしてアメリカ兵を100人以上殺傷し、多大な成果を上げました。

しかし、さすがの船坂も米軍の数には勝てず左大腿部を銃で撃たれます。

その銃弾は骨を砕き、船坂はその場に倒れてしまいました。

数時間後に日本の軍医が到着し船坂を見ると、その出血量から「もう助からないだろう」と判断し、自決用の手りゅう弾を船坂に渡しました。

船坂は致命傷を負いながらも、日章旗で大腿部を縛って止血し夜通し這って自軍の陣地まで帰ったといわれています。

次の日には、片足を引きずって歩けるまでに回復し敵軍の基地に乗り込みました。

この不死身さに対して船坂本人は「生まれつき傷が治りやすい体質だった」と述べています。

腹部に蛆が湧くほど重症だったが復活

森林で復活した船坂弘

足を引きずって船坂は一人で奮闘し何人ものアメリカ兵を倒しました。

しかし、食料と水がない中で船坂は次第に追い詰められていきます。

アメリカ兵はこの間倒したはずの船坂を見て「おいおい、なんでこの日本兵は生きているんだ!?この前太ももを打ち抜いて死んだはずだろ!?」と驚きました。

そして、今度は腹部を銃で打ち抜かれその場で気を失ってしまいました。

意識を取り戻した船坂は動こうとするも、腹部を撃たれていたため動くことができずそのままどうすることもできませんでした。

次第に傷口から蛆が湧き始め、船坂も「ここまでか」と悟り、手りゅう弾で自決を図ります。

しかし、手りゅう弾は不発で終わり船坂は茫然としました。

そうこうしているうちに船坂は這うことができるようになり、単独で敵軍の基地に向かい始めました。

首を銃で撃たれたが復活

重症から復活した船坂弘

船坂は死ぬ前に敵将に一矢報いたいと米軍基地に乗り込もうと考えます。

手りゅう弾6発を自身の体に巻き付けて、拳銃1丁だけ持って夜通し這って4日後に米軍基地に到着しました。

その時すでに船坂は全身の20か所に砲弾の破片が食い込んだ状態であり生きているのがおかしい状況でした。

米軍指揮官たちが続々と集まってきたのを確認して、船坂は立ち上がりました。

それを見た米軍指揮官たちは「おいおい、またこの日本人かよ!?こないだ腹を撃って死んだよね!?なんで生きているんだ!?クレイジーだ!!と唖然としたといいます。

船坂は手りゅう弾の信管を抜こうとした瞬間、首を銃で撃たれその場で昏倒しました。

そしてアメリカ兵によりその場で戦死と判断されました。

その後アメリカ軍医がやってきて、無駄だと思いつつも船坂を野戦病院へ連れて行きました。

しかし、首を銃で撃たれた船坂は数日後には意識を取り戻しました。

船坂はアメリカ兵たちの中で「何度死んでも復活して戻ってくる日本兵がいる」と話題になっていました。

致命傷を負いながらも終戦まで生き残り日本に帰国

日本に帰国した船坂弘

その後、船坂はペリリュー島の捕虜収容所に移動しました。

何度死んでも復活する伝説の男の話はペリリュー島にも伝わっており、船坂は要注意人物になっていました。

しかし、どうみても瀕死の重傷であったため2日目にはアメリカ兵の監視が甘くなりました。

船坂はその隙を見逃さず、収容所から抜け出すことに成功します。

逃げ出した船坂はアメリカ空軍の飛行場を炎上させる計画を立てますが、収容所にいたクレンショー伍長に阻止されて失敗に終わりました。

その後、船坂はグアム・ハワイ・サンフランシスコ・テキサスの収容所に転々と移動し1946年に日本に帰国しました。

自分の墓標を抜く船坂弘

自分の墓標を抜く船坂弘

アンガウル島守備隊は1944年10月19日に玉砕しており、船坂の実家には戦死広報が届いていました。

太ももを銃で撃たれ、体から蛆が湧き、首を撃たれた船坂は当然死亡したことになっていました。

ぬこさん

普通に考えたら生きていると思わないにゃ

日本に帰った船坂が一番最初に行ったことは「船坂弘之墓」と書かれた自分の墓標を抜くことでした。

その後、船坂はボロボロの軍衣のまま家族や知人に会いに行きました。

船坂は死んだと思われていたので、目の前に船坂が現れたときにはみな腰が抜けたといわれています。

なかには「目の前にいる船坂は幽霊ではないか」と言った者までいたそうです。

あの本屋を開業

戦後、船坂は東京の渋谷に、とある本屋を開業します。

この本屋は渋谷駅のスクランブル交差点を渡った目の前にあります。

渋谷に行ったことのある方は一度は見たことがあるのではないでしょうか?

この本屋です。

大盛堂書店
引用:大盛堂書店

船坂は自分の目で見てきたアメリカの先進性を日本の国民にも学んで欲しいと思い、大盛堂書店を開業したといわれています。

今でもこの本屋は渋谷の一等地にあり、不死身の船坂の魂を受け継いでいるのかもしれません。

船坂弘はサイボーグだった

船坂弘はサイボーグだった

いかがだったでしょうか。

今回は「何度殺されても生き返るリアルサイボーグ、船坂弘」について深掘りしました。

信じるか信じないかはあなた次第です。

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