【都市伝説】歴史上登場する謎多き少年・カスパー・ハウザーについて

『カスパー・ハウザー』という少年を皆さんはご存じでしょうか?

彼は歴史に突然現れ、生まれてから16歳になるまで監獄のような狭い部屋で過ごしていました。

なんと、彼は生まれてから発見されるまでそこから一度も出たことがなかったのです。

そして、外に出た彼は何者かによって暗殺されてしまいます。

そんな彼にはいくつかの都市伝説が存在します。

今回は、謎の少年『カスパー・ハウザー』について深堀りしていきます。

目次

カスパー・ハウザーとは

カスパー・ハウザーとは、ドイツにいた都市伝説的な孤児です。

1828年~1833年まで、彼はカスパー・ハウザーと名乗り、周りからもそう呼ばれていました。

これは公式の資料にも残っています。

彼がなぜ都市伝説的かというと、彼は出生から発見当時までが謎に包まれており、彼は生まれてから保護されるまで監禁されていたというのです。

また、彼には普通の人間とは異なる部分が多々あり、特殊な能力も身につけていました。

そして、彼は暗殺されてしまいます。

「彼はなぜ生まれてからずっと監禁されていたのか?そして、どうして暗殺されなければならなかったのか?」

今回は謎多き少年カスパー・ハウザーについて深堀りしていきます。

発見された当初のカスパー・ハウザー

1828年5月26日、精霊降臨祭のあとにバイエルン王国ニュルンベルク(ドイツ)のウンシュリット広場に16歳の少年が発見されます。

彼は身長約144㎝、汚いフェルト帽、踵の高いブーツを身に着けて、何かに怯えるように広場にいました。

そして、言葉を話すことができず、膝を一度も曲げたことがないような動きをし、歩くこともできませんでした。

身元などを質問しても彼は答えることができなかったため、彼は衛兵の詰め所に連れていかれました。

彼は話せなかったので、衛兵たちから、

「筆談はできるのでは?」

との案が出て、紙と鉛筆を彼に渡しました。

少年は「カスパー・ハウザー」という言葉を紙に書きました。

カスパー・ハウザーの手紙

カスパーは発見されたとき手紙を2通持っていました。

それは、ニュルンベルク駐屯第6軽騎兵隊第4中隊勤務のフリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒ大尉宛てでした。

手紙は誤字や文法が間違いだらけでしたが、内容はこういうものでした。

「少年の名前はカスパー。誕生日は1812年4月30日、少年の父は騎兵であったがすでに亡くなっている。父と同じ騎兵に採用して欲しいが、使えなかったら殺して欲しい。」

ヴェッセニヒ大尉は、手紙の主に心当たりが無かったため、カスパーは孤児として市当局に保護されました。

人々から注目を浴びたカスパー・ハウザー

謎の少年カスパー・ハウザーの噂は街中に広がりました。

多くの教育学者・法学者・神学者たちが彼に関心を持ち、カスパーに様々な検査をしたり、教育をしました。

宗教学者ゲオルク・フリードリヒ・ダウマーはカスパーに読み書きを教えました。

ダウマーはほぼ毎日、カスパーの元を訪れて教師のように彼を教育しました。

カスパーはダウマーが言うことを熱心に聞き、発見されてから数か月後には、一定の教養を身につけました。

しかし、ダウマーはカスパーに神の概念をいくら教えても、カスパーは理解できませんでした。

彼の保護と教育を行っていた法学者アンゼルム・フォイエルバッハによると、カスパーは発見当初、肉や牛乳を口にすることができず、パンと水だけ食べることができました。

また、鏡に映った自分を掴もうとしたり、ろうそくの火を触ろうとしたり、通常の生活を送っていたら身につく常識が彼には無かったのです。

このことよりフォイエルバッハは、カスパーは生まれてからかなり長い期間、誰とも接することなく孤独に監獄に囚われていたと推測しました。

しかし、カスパーに、

「今まで監獄にいたのか?」
「その監獄の場所はどこにあったのか?」

と尋ねても彼は答えませんでした。

カスパー・ハウザーは特殊能力があった

長い間暗闇の部屋で過ごしていたカスパーの視覚の鋭さは異常なまで発達していました。

暗闇の中でも文字が読めたり色が識別できる能力があったのです。

逆に、昼間や明るいところではほとんど目が見えなかったのです。

嗅覚に関しても異常に発達していました。

カスパーはコーヒーやビールの匂いを嫌い、それらが部屋に運ばれただけでも気分が悪くなるほどでした。

また、ワインの匂いがするだけで酔ってしまうほど敏感な嗅覚を持っていました。

聴覚も通常の人間より発達しており、隣の部屋で囁いた会話が聞き取れるほどでした。

また、金属を目をつぶって触っただけで鉄や真鍮などの材質を言い当てるなど、触覚も常人離れしていました。

これらの能力は、カスパーが生まれながらに持っていた特殊能力というよりは、暗闇の中で長い間過ごしたことによって身につけた能力だと考えられます。

その証拠に、カスパーは一般の食事や生活をするにつれてこれらの能力は失われていったのです。

しかし、視覚の鋭さだけはその後も残ったようです。

見世物にされたカスパー・ハウザー

カスパーは軍隊で預かることにはならず、警察に引き取られていましたが、光や音など全てにおいて敏感であったため、幽閉する目的で作られた塔の中に収容されてしまいました。

街では『謎の奇妙な少年がいる』という噂が広まり、カスパーを一目見ようと群衆が集まりました。

カスパーは突然、塔の下に群衆が集まりだした群衆に怯えて、そのことについて悩んでいたようです。

市長はカスパーを市費で養う代わりに、彼を見世物として群衆の前に連れて行ったりもしました。

カスパーは自身が経験したことのない光と騒音、今まで誰とも接していなかった自身が注目を浴びていることへの極度のストレスに苦しみました。

しかし、何度も群衆の前に連れてこられるうちにカスパーは光と騒音、注目を浴びることに慣れていき、普通にいられるようになっていきました。

ニュルンベルクの人々もカスパーの生い立ちに同情し、彼を次第に受け入れていきました。

カスパーには当時の王室貴族だけが受けていたとされる種痘のあとがあったため、王室の血が流れているのではないか?という噂が人々の間で囁かれはじめました。

次第に成長していったカスパー・ハウザーから語られた真実

自身が何者であるかを知らず、故郷も知らないカスパーは、言葉が流暢に話せるようになり、「回顧録を書きたい」と周りに言い出しました。

周囲の人々も彼の生い立ちに興味があり、ただちに開始されました。

カスパーは記憶に残っているかすかなことも思い出しながら、自身の生い立ちについて記していきました。

そこには、次のように記されていました。

カスパーは16歳で初めて外に出るまで暮らしていた場所を、彼は『オリ』と呼んでおり、奥行き2m、幅1mで、窓がなく、立ち上がることができないくらいの狭い場所でした。

寝る場所はベッドなどではなく、干し草の上で彼は寝ており、床はひどく汚れていました。大小便は壺の中にしていました。

その『オリ』にいた16年間、外部との接触は皆無であり、彼は人と話すどころか誰とも接することなく過ごしました。

毎朝起きると、パンと水だけが床に置かれてあったので、これは誰かが準備したのではなく、自然と現れる現象なのだとカスパーは考えていました。

水から時々、嫌な匂いがし、彼がそれを飲んだら眠たくなり寝てしまうようでした。起きたときには爪は切られ、新しい服を着ていました。

もーもー

この劣悪な環境で生まれてから16年も外に出ることなく生活していたと考えると心にくるものがあります・・・

カスパーは『オリ』の中で2頭の木馬だけが友達でした。

木馬で遊んでいたときに大きな音を立てて、彼を世話していた人間に棒で叩かれたこともありました。

『オリ』から出されたカスパー・ハウザー

カスパーは『オリ』の世話人からペンの使い方と歩き方を教えられて、ニュルンベルクに連れて来られました。

そのとき、手紙を2通握らされ、世話人は姿を消しました。

カスパーは話せるようになってから、世話人のことを、

「あの男は悪くない」
「私に何も悪いことをしなかった」
「自身を監禁するよう命じた人が悪党だ」

と何度も言いました。

暗殺されたカスパー・ハウザー

カスパーは不思議な少年として街中の注目を浴びました。

やがてニュルンベルクの人々にも受け入れられていきましたが、彼の名前と容貌が知れ渡るにつれ、『ある王族に顔が似ている』と噂されるようになります。

そして、彼はのちに暗殺されてしまいます。

カスパーは自伝を書き終えたころ、1829年10月17日にダウマーの家で頭から血を流して倒れているのを発見されました。

カスパーは「覆面を被った男にナイフかこん棒のようなもので殴られた」と言いました。

市はカスパーに常時2名の護衛をつけましたが、スタンホープ伯という方の計らいで、ニュルンベルクから遠いアウスバッハに身柄を移動させました。

しかし、それから4年後の1833年12月17日、ホーフガルデン公園でカスパーはまた、謎の人物に襲われました。

そして、胸から大量の血を流しているところを発見されました。

急いで護衛が駆け付けましたが、カスパーは、

「男が・・・刺した・・・ナイフ・・・公園・・・財布・・・すぐに行け・・・」

とだけ言い、その3日後に亡くなりました。

カスパー・ハウザーの暗殺の手がかり

カスパーが刺された場所で、左右逆の鏡で映して読むメッセージが書いてある財布が見つかりました。

そこには、次のように書かれていました。

「カスパーは俺がどんな顔でどこから来た誰なのか知っているはず。奴が言う前に俺が誰だか教えてやろう。俺はバヴァリ国境から来た、名前はM・L・Oだ」

もーもー

犯人は捕まらないようにわざと嘘の情報を書いて捜査を遅らせようとしたのかもしれないね

バイエルン国王ルートヴィヒ1世は、殺害者逮捕のための情報提供者に22万フローリンの報奨金をつけましたが、犯人につながる情報は出てきませんでした。

暗殺に使われた凶器が見つかる

カスパーが亡くなってから2年が過ぎたころ、王宮の庭園で刃渡り14㎝全長30㎝の刃が波刃になっているダマスクス刃の短剣が発見されました。

なんと、この短剣とカスパーの刺し傷は完全に一致したのです。

のちに、この短剣は1926年に作られたフランス製のシーフナイフであったことがわかりました。

この殺害に使われた短剣はニュルンベルクの警察展示会に展示されたのち、アウスバッハの博物館に保管されていましたが、1945年の終戦以降、行方不明となっています。

もーもー

証拠品が行方不明になったのも、何か闇を感じますね・・・

世話をしていたフォイエルバッハも暗殺されていた

カスパーの世話をしていたパウル・ヨハン・アンゼルム・フォイエルバッハもカスパーが暗殺された1833年の5月に亡くなりました。

フォイエルバッハの死因は毒物による中毒死であり、何者かに暗殺された可能性が高いと言われています。

もーもー

フォイエルバッハはカスパーと常日頃生活していたので、何かカスパーの出生について知らされていたかもしれないと恐れた何者かによって消された可能性は充分に考えられますよね

カスパー・ハウザーはなぜ暗殺されたのか?

カスパーは二度に渡り襲撃され、暗殺されています。

また、彼の教育や世話をしていたフォイエルバッハも暗殺されています。

これは、カスパーが生きていたら困る何者かによって暗殺を指示されたのかもしれません。

近年ではカスパーの出生について証拠がいくつか見つかっていますので、深堀りしていきます。

バーデン大公家の世継ぎ説

フォイエルバッハは「カスパーがバーデン大公家の世継ぎであり、世継ぎ問題の事情で死産の子供と取り替えられて亡かった者とした」と確信していました。

さらに、ウルリケ・レオンハルトは「乳母は出産のときにその場にいたわけではなく、乳母が自ら死産の子と取り替え、あとから呼ばれた医師がいきなり死んだ子を見せられたにすぎない」と発言しました。

バーデン大公家では、一族の記録文書の閲覧を拒んでいるので、今日まで全て未解決のまま真相は闇の中です。

DNA検査が王族と一致

2002年にカスパーのシルクハットの汗のシミ、それと髪の毛をDNA検査しました。

科学者たちが出した答えは「カスパーはバーデン大公の妃の子孫の可能性が極めて高い」と発表しました。

また、別のDNA検査を行ったところ、カスパーの指紋はバーデン大公カール妃であるステファニー・ド・ボアルネの子孫「アストリッド・フォン・メディンガー」と一致していました。

カスパーが過ごしていた監獄『オリ』が見つかった!?

ニュルンベルクから35㎞のところにバーデン大公家の「ピルザッハ城」という小さな城があります。

ピルザッハ城で1924年に秘密の部屋が見つかりました。

その部屋の広さはカスパーが話していたものと一致していました。

また、1982年の改装工事で瓦礫の下からおもちゃの木馬が見つかりました。

さらに、カビの生えた衣服も見つかっています。

これらが見つかったことにより、カスパーが過ごしていた監獄『オリ』は「ピルザッハ城」だと語られています。

もーもー

これはもうピルザッハ城で確定かも・・・

カスパー・ハウザーは一体何者だったのか?

いかがだったでしょうか?

今回は「歴史に存在した謎の少年、カスパー・ハウザー」について深堀りしていきました。

カスパー・ハウザーについては未だに誰なのかはっきりとした答えは見つかってません。

カスパー・ハウザーは一体何者だったのでしょうか?

信じるか信じないかはあなた次第です。

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