(この記事は2024年11月22日に更新しました。)
『ヴォイニッチ手稿』という言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか?
これは1912年にイタリアで発見された古文書なのですが、見たこともない文字が使われていて、今まで大勢の研究がなされました。
このヴォイニッチ手稿にはいくつかの都市伝説が存在します。
今回は、謎の古文書『ヴォイニッチ手稿』について深堀りしていきます。
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ヴォイニッチ手稿とは?
ヴォイニッチ手稿は、1912年に古書収集家のウィルフリッド・ヴォイニッチがイタリアで発見しました。
大きさは23.5㎝×16.2㎝×5㎝で、左から右読みとなっています。
また、現存するのは240ページであり、最低28ページは無くなっています。
紙は羊皮紙が使われており、未解読の文字とほぼ全てのページに色のついた絵が描かれています。
しかし、多くの歴史研究家や言語学者などによって解読を試みましたが、現在でさえ未だに中身が解明されていません。
未解読の文字ということは歴史上にまだ発見されていない時代が存在していて、その時代に書かれたものなのかな?
ヴォイニッチ手稿の所有者
資料に残っている最初の所有者はプラハの錬金術師であるゲオルク・バレシュ(1585~1662)です。
彼が、1639年にアタナシウス・キルヒャーにヴォイニッチ手稿について言及している書簡を書いており、その資料が見つかっています。
ゲオルク・バレシュが亡くなったあと、ヴォイニッチ手稿は彼の友人のヤン・マレク・マルチ(1595~1667)に預けられ、その後、友人のアタナシウス・キルヒャーの手に渡りました。
ヴォイニッチ手稿のカバーからマルチがキルヒャーにあてた書簡が見つかっており、そこには「ヴォイニッチ手稿はルドルフ2世に600ドゥカートで購入された」と書かれていました。
この書簡はヴォイニッチが入手したときにもカバーにまだありました。
ヴォイニッチ手稿の所有者はキルヒャーが入手したあと200年間の記録や資料が見つかっていません。
しかし、キルヒャーが亡くなったあとローマのコレッジョ・ロマーノ図書館に保管されていたといわれています。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がローマを占領したとき、大学の図書館の蔵書を全て没収しようとしました。
しかし、多くの書物は個人の所有物であることとして、没収されなくてすみました。
このとき、ヴォイニッチ手稿は当時のイエズス会の指導者であり大学の学長のピーター・ヤン・ベッククスが保管することになりました。
しかし、所有はコレッジョ・ロマーノ図書館のままであったといわれています。
1912年に、コレッジョ・ロマーノ図書館が財政難で所有する書物を売却しました。
その時、ウィルフリッド・ヴォイニッチは30の手稿を購入し、その中にこのヴォイニッチ手稿が入っていました。
その後、彼の名をとってこの手稿は「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれるようになりました。
その後、ヴォイニッチ手稿は1969年にハンス・P・クラウスによってイェール大学に寄贈されました。
ヴォイニッチ手稿に書いてあること
ヴォイニッチ手稿に書いてある内容は次のように分類できます。
植物
ヴォイニッチ手稿は植物に関する絵が多く、1ページに1種類の植物や花と思われる絵と説明らしき文章が書かれています。
天文学・占星術
ヴォイニッチ手稿には、天文学や占星術と思われる絵のページがあります。
その中でも、3月から12月までの10か月黄道十二星座の絵が描かれた部分があり、そこには中世ラテン語で月の名前と思われる名前が書いてあります。
いて座がケンタウロスではなくクロスボウを持った人間である点、かに座がザリガニ、さそり座がトカゲである点など、不可解な書かれ方をしています。
水に浸かった女性の絵
ヴォイニッチ手稿の中に、プールや浴槽に浸かった女性と思われる絵と文章が書かれています。
他のページでは絵がほとんどであったのに対し、この部分は文章が非常に長く詳しく書かれています。
このページに書かれていることは全く想像ができない・・・
折りたたまれたページ
6ページの羊皮紙が折りたたまれたページが存在します。
折りたたまれた外側のページには大きな円と文章が書かれており、内側のページには大きな円の絵が描かれています。
壺と瓶の絵
壺と瓶のようなものが描かれており、植物の茎や皮を剥いだ模式図のような絵も描かれています。
植物の保存方法や薬草の作り方を書いているのかな?
文章のみのページ
普通の書籍同様、文章が上から下まで書かれているページがあります。
左右のページの端に七芒星、八芒星に線が下に伸びた星か花のような絵が描かれています。
ヴォイニッチ手稿の研究でわかっていること
内容の解読
文章の解読を試みた研究者たちによると、これらはでたらめな文字列ではなく、自然言語や人工言語のように意味をもった文字列であることがわかっています。
しかし、文字の解読は未だにできておらず、書いてある内容は謎のままです。
研究者たちは絵から内容を推測してみたのですが、植物の特定は未だできず、人の絵がほとんど全裸であるため、服から時代を推測することもできていないようです。
書かれた時期
2011年にアリゾナ大学で放射性炭素年代測定が行われました。
それによると、使われている羊皮紙は1404年~1438年のものであることがわかっています。
やっぱり相当昔の本であったことには間違いないようだね
ヴォイニッチ手稿の都市伝説
このような謎に満ちているヴォイニッチ手稿にはさまざまな都市伝説があります。
【作者】ロジャー・ベーコン説
イングランドの学者、ロジャー・ベーコンが薬草学に関する知識を宗教的な迫害から守るため、複雑な暗号を使って書いたといわれています。
【作者】エドワード・ケリー説
当時のローマ皇帝ルドルフ2世は錬金術に夢中であったため、彼から金を搾取する目的でエドワード・ケリーが書いたのでは?といわれています。
【偽造説】
マイケル・バーロウは「何らかの機関が意味ありげな写本を作り、証拠を伏せ、評判にさせようとして作った偽造書かジョーク」と言っています。
これは、前述のルドルフ2世に売りつける目的で作られたものと考えると、偽造書の可能性もあるかもしれません。
しかし、これもあくまで推測であり、決定的な証拠は見つかっていません。
ヴォイニッチ手稿の解読についての推測
ヴォイニッチ手稿の解読は未だに成功していませんが、いくつかの推測がなされています。
暗号の天才と呼ばれたウィリアム・フリードマンによると、ヴォイニッチ手稿に書かれている文字は暗号ではなく人工言語ではないかといわれています。
レオ・レヴィトフによると、水に浸かった女性の絵は12世紀~13世紀に南フランスで栄えたカタリ派の「耐忍礼(endura)」の儀式であるらしいです。
そして、文字はフラマン語をもとにしたクレオール言語であると、レオ・レヴィトフは言っています。
ベッドフォードシャー大学の言語学者、スティーブン・バックスは植物の絵に書かれているアラビア語、ヘブライ語の文字に注目しました。
彼は、ヴォイニッチ手稿に書かれている文字を他の中東の言語に当てはめる検証をして、ある結論に至りました。
ヴォイニッチ手稿に書かれている文字は印欧語族の言語ではなく東アジアの言語で記されていると、彼は発表しました。
イギリスのテレビ作家のニコラス・ギブスは、「ヴォイニッチ手稿は婦人に関する健康医学書」であると発表しました。
また彼は、書かれている文字はラテン語であると言っています。
ブリストル大学の言語学者、ジェラード・E・チェシャーは次のように発表しています。
「ヴォイニッチ手稿はドミニコ会の修道女がアラゴン王国の女王、マリアのために書いた生活に関する参考書」
また、チェシャーは使われている文字は俗ラテン語であるとも言っています。
しかし、どの説も決定的な証拠は無く、真相は未だに謎のままです。
ヴォイニッチ手稿は一体何なのか?
いかがだったでしょうか?
今回は、「実在する未解読の古文書ヴォイニッチ手稿の真実」についての都市伝説を深堀りしました。
書かれた本の羊皮紙の年代は解明されているものの、書かれている文字や内容、誰が何の目的で書いたのかについては未だ真相は闇の中です。
欠落している28ページに何が書いてあるかも気になります。新たなページが今後見つかることがあれば、何かしらの手がかりになるかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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